中日新聞及び東海団地少年野球連盟(優勝旗争奪)
日本住宅公団(優勝旗争奪)
愛知県知事(優勝杯争奪)
2年後(昭和53年)から、夏季の大会開催の要望が多く、新たに愛知県知事より優勝旗を頂く事で、優勝旗争奪夏季大会の開催に至り、年間3大会の開催を行ってきました。
連盟発足時に、当時の仲谷県知事から愛知県知事賞をご提供頂くにあたり三つの条件を厳守する事を要求されました。
1. 大会参加チ−ムを団地のチ−ムに限らず、多くの県内の
チ−ムを参加可能にする事。
2. 運営に当たり、一切の政治色を介入させない事。
3. 如何なる、企業の冠をつけない事。
この、三条件を厳守する事を約束して、県知事よりの“春季、秋季”優勝杯。“夏季”優勝旗を争奪。 愛知県のご後援を頂く程の伝統と歴史のある連盟となりました。
愛知県内の、少年野球普及に貢献する為、知多地区をはじめ各地で、開会式を挙行し、多くの少年野球チ−ムが結成され、また当連盟の大会に参加される様になりました。
その後、各地域や企業冠の数多くの大会が開催され、当連盟は東海地域の少年野球の普及の礎になったと自負しています。
東海団地少年野球連盟、歴代の連盟理事長及び副理事長
初代:稲葉武彦(岩倉団地) 副理事長:水谷浩之、関亜夫
二代:小泉昭司(保見ケ丘) 副理事長:水谷浩之、関 亜夫
三代:松下久良人 (原山台) 副理事長:水谷浩之、関 亜夫
四代:関 亜夫 (相生山) 副理事長:平野晴彦、長谷川千昭
五代:水谷浩之 (有松) 副理事長:湯本哲夫、金井五十四、杉浦恒美
六代:金井五十四(知立サウス)、 副理事長:林広志、石川健、森建司、塚野耕司
東海団地少年野球連盟
【 用語 】
へん‐せん【変遷】 時の流れとともに移り変わること。
とうかいだんち【東海団地】 愛知県内の公営団地の総称として使われている言葉。 東海団地と言う場所があるわけではない。
いしずえ【礎】 物事の基礎となる大切なもの。また、その人。
【奥様ジャーナル社】30代〜50代中心のフリーペーパー、公営住宅を中心に配布している。発行部数約14万部を誇る。
東海団地少年野球連盟の変遷